2013年09月23日
三谷弘法山 金剛寺と子安弘法大師像.
おばちゃんよりも一回り以上離れた女性と出逢いました。
とても穏やかなお顔でまるで仏様が微笑む様なオーラを感じたのが第一印象です。もっと早くに出逢いたかった…そう感じた女性です。
14年前に癌を告知され、余命半年と告げられた女性ですが、辛い抗がん剤治療に耐え、何度も再発をしては、何度も何度も乗り越えてきた女性です。今回再び、再発し抗がん剤治療を乗り越えようとしてます…しかし医師からは数日の余命を宣告されました。
身内でないおばちゃんは、女性のお母様から連絡があったもののまだ女性に逢えません。
どう声を掛けるものか…今まで沢山の辛い抗がん剤治療を受けてきて、乗り越えて頑張ってきた女性に、
「頑張ってお姉さん」
は言えません。沢山頑張ってきた相手に、これ以上頑張ってなんて言葉はいいものなのか…。
以前お食事を一緒にした際、女性はこう言いました。
「わたしの目標は今の治療を終えたら、あなたと一色にある美味しい鰻屋で鰻を食べに行きたい。鹿児島の最福寺にも連れて行ってあげたい」と。
女性は鹿児島の最福寺、池口恵観さんのもとで辛い抗がん剤治療を乗り越えたにもかかわらず、辛い修行をされた方で、三河地方の寺院にも毎月お掃除に行かれていました。
その事が頭にあったのか、おばちゃんこんな夢を見ました…おばちゃんの夢をイラストにしましたよ。
おばちゃんは誰かと隣に並び真っ直ぐな一本道の先にある大きな大きな山の上に更に大きな仏様像が立ってて、その仏様が呼んでいました。仏様像に向かって石段がありました。山のふもとには案内人みたいな人が居て、他の参拝者はひとりで登ってくのに、おばちゃんだけは何故か案内人が付いてくと…登る前に話があると…話の途中で目覚めてしまい内容も分からず、登る事もしなかったけど、ただおばちゃんには「子安大師」の言葉が残りました。女性が通っていたというのも知っていたのもあるとは思うけど、引っかかったので「子安大師」に行ってきました。

三谷弘法山・三谷高野山「金剛寺」です。はじめましてのご挨拶と共に手を合わしてきました。
金剛寺本堂から徒歩5分程で「子安弘法大師像」があります。
「子安弘法大師様」です。地上30メートル東洋一だそうです。はじめましてのご挨拶と共に手を合わしてきました。
子安弘法大師様のお顔です。
左胸に子供を抱いています。
標高100メートル程の弘法山頂に立ち三河一円を見守っています。
とても穏やかなお顔でまるで仏様が微笑む様なオーラを感じたのが第一印象です。もっと早くに出逢いたかった…そう感じた女性です。
14年前に癌を告知され、余命半年と告げられた女性ですが、辛い抗がん剤治療に耐え、何度も再発をしては、何度も何度も乗り越えてきた女性です。今回再び、再発し抗がん剤治療を乗り越えようとしてます…しかし医師からは数日の余命を宣告されました。
身内でないおばちゃんは、女性のお母様から連絡があったもののまだ女性に逢えません。
どう声を掛けるものか…今まで沢山の辛い抗がん剤治療を受けてきて、乗り越えて頑張ってきた女性に、
「頑張ってお姉さん」
は言えません。沢山頑張ってきた相手に、これ以上頑張ってなんて言葉はいいものなのか…。
以前お食事を一緒にした際、女性はこう言いました。
「わたしの目標は今の治療を終えたら、あなたと一色にある美味しい鰻屋で鰻を食べに行きたい。鹿児島の最福寺にも連れて行ってあげたい」と。
女性は鹿児島の最福寺、池口恵観さんのもとで辛い抗がん剤治療を乗り越えたにもかかわらず、辛い修行をされた方で、三河地方の寺院にも毎月お掃除に行かれていました。
その事が頭にあったのか、おばちゃんこんな夢を見ました…おばちゃんの夢をイラストにしましたよ。








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おばちゃんの大切な人も癌と告知され余命宣告も受け、それから抗がん剤治療も受け、「生きたい」と言う彼の意志と数%の生存率に賭ける手術も受けました。しかしまだ彼の闘いは終わりません。頭の中には「死」が常にあり、「次再発したら手術もできない、抗がん剤が合わなかったら俺、死ぬんだ」…初めて癌と告知されてから半年、「生きた心地がしない」それが彼の本心です。「癌と向き合わなきゃ」…自分に言い聞かせています。
癌患者さんには「完治」と言う言葉が簡単に伝えられるものでもなく、毎日毎日、精神的にも体力的にも経済的にも追い込まれてる事実もあります。おばちゃんの大切な彼と大切な女性、2人をどうか見守って下さい。



おばちゃんより
Posted by おばちゃん at 12:12│Comments(0)
│おばちゃんの生活.
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